東 明雅の連句 Q&A
若い世代との付け合い
高年齢化が言われる俳句・連句界ですが、それでもずいぶん若い人たちの参加も増えてきました。先生はこのような新しい環境に育った人たちとの付合でどんなことをお感じでしょうか。
このごろ連句に列なる若い方は、みな外国語がとても堪能である事を痛感します。昔の人も一応外国語を心得てはいたのですが、それは大学に入るため、あるいは出るための条件に過ぎない人が多かったのです。現在は、外国語の知識なしには日常の生活も出来ない有様です。それ故、学んだ外国語が昔よりずっと身についており、それが作品にもあらわれるようになりました。
その反面、終戦以後、中学・高校・大学を通して国語や国文学、ことに古典文学の教育が殊の外疎略にされたため、この方面の知識または若い人たちの興味も段々乏しいものになってきました。「芭蕉の俳諧が分からなくなった時、日本人は完全にアメリカナイズされた事になる」と、昭和初期に予言したのは寺田寅彦氏だったでしょうか。その時がまさに今日到来したと言うべきでありましょう。
私は数年前「電脳連句」ということが言われ、本にもなった時、本当にびっくり致しました。コンピューターのすばらしさは聞かされておりましたが、白分ではワープロも打てないメカオンチの私は、あたかも、浦賀の沖に黒船が押しよせた時の江戸市民みたいな心境だったのです。と申すのは、その前だったかチェスの名人と試合をしたコンピューターが見事名人に勝ったという噂を聞いていたからです。
連句の作り方、その式目・去嫌い、はては歳時記とその使い方をインプットされたコンピューターは、私の当時の想像では、ただ単なる勝負の機械であり、連句の相手から受ける暖かい連衆心を求めるのは不可能でしょう。これでは連句の文学性の破壊に他ならないと思ったのです。
しかし、あとで電脳連句とはコンピューターを使うけれども、それをメディアの具として自由に連句のサークルを作り、より多くの連衆と付合をする架空の座を作るものだと分かり、成程と理解しました。
これは今までになかったビジュアル・コミュニケーションとして、今後益々発展して行くことでしょう。事実、この方法で、たとえば、日本と外国との間に、同時に一座を持つ事が、既に何回も行なわれ、成功しているのを聞く時、連句国際化の方法としては、最良の方法であると考え、若い方たちのご努力に敬意を払う次第です。
「猫蓑通信」第37号 平成11(1999)年10月15日刊 より