猫蓑通信創刊号から43号まで連載された、東明雅によるQ&A方式の「質問コーナー」を再録しました。元の猫蓑通信の記事は資料庫のpdfファイルでも閲覧できます。
連句では「花」の出る場所が決っていますが、「花」が発句に出てしまった場合、「花」の座に来た時どのようにすればよいのでしょうか。又、「紫陽花」や「無果花」のように、花という文字が一部に使われている場合の「花」の句の出し方についてもお教え下さい。
歌仙でも二十韻でも、それぞれの進行表を見ますと恋句を出す場所が示してありますが、これ以外の場所、例えば表や名残の裏に出してはいけないのかどうか、またその理由についてお教え下さい。
挙句を付ける時、発句に帰っていくような付け方もあるという説を聞いたことがあります。私たちはそのようには習っておりませんが、これはどのように考えたらよいのでしょうか。
一巻の中で、人情の句と、人情無しの句、また春夏秋冬の季の句の割合は、それぞれ何%くらいが適当でしょうか。お教え下さい。
丈高い句を作るコツをお教え下さい。また「胴切れ」についても教えて下さい。
19 練習船花の門出に集ひけり 挙句 朧おぼろにふるさとの空
このような付けの時、これは本来の花ではないから挙句はこれではまずいのではないか、という意見が出たのですが、その意味を教えて下さい。
お祝いの時、あるいは忌日に連句興行をする場合、注意しなければならないことがありましたらお教えください。
俳席でお捌きに、付きすぎている、離れすぎている、ということを言われることがありますが、この辺のことを分かりやすくお教えください。
底の紅濃きまま木槿落ちにけり 雨上がりたる庭の繊月
最近巻きました二十韻で、このような月の句が出ました。脇句のあり方も含め、月を詠む時の視点など、出し方についてお教えください。
秋季以外の月句の出し方について、名月は仲秋だということは分かりますが、「いざよふ月」などは秋以外には使えないのでしょうか。また、「おぼろ夜」だけで月の句として使えるかどうかお教えください。
花火という季語について、季寄せでは晩夏、『連句人門』には秋の正花と出ています。打ち上げ花火と線香花火、火のついていないものの区別はどうかなど、今まで花火の句は避けてまいりましたが、お教えよろしくお願いします。
「文台引き下ろせば反故」という言葉が連句にはあると聞きますが、校合というのは矛盾しないのでしょうか。また、作者名が入れ替わることがあるのはどう考えたらよいのでしょうか。
俳席では、「これはすりつけだからいい」というようなことがよく言われます。「宮島」――「瀬戸内海」といった地名に地名の付けなどはどうか、「付き過ぎ」ということとは矛盾しないのかなどについてお教えください。
仮名遣いについてお尋ねします。連句作品の仮名遣いは、旧仮名遣い、現代仮名遣いのどちらがよいのでしょうか、旧仮名遣いの場合、何か表現上のメリットがあるのでしょうか。お教えください。
連句は転じがなければならないと教わりますが、実際の付け合いの中で、転じているいないの判断は主観的な面もあるように思えます。どのような点に工夫すればよく転じられるかお教えください。