連句とは

連句は、古くて新しい、共同創作の文芸です。ある人が詠んだ五七五の句に、別の人が七七の句を付け、次にまた別の人が五七五を付け、次にまた七七を付け、ということを繰り返す「座の文芸」です。

そうして一定の数の句を、「式目」というルールに従って連ねて行くことで、俳句や短歌よりずっと長い定型詩を共作します。その一座のメンバーを「連衆」(れんじゅ・れんじゅう)と呼びます。また多くの場合、リード役としての「捌」(さばき)を設定します。連句を作ることを「卷く」と言い、連句作品は「一巻」「二巻」と数えます。また、連句の座を開催することを「興行」と言います。

連句は、楽しい知的遊戯です。それと同時に、真摯な創作活動でもあります。そこに、連句の文芸としての独自性と、独特の可能性が秘められています。

「座の文芸」にとって何よりも大切なのは、一座のやりとりの現場で生まれるインスピレーションです。それを最大限生かすためには、特定のテーマや「落としどころ」などをあらかじめ決めることなく、即興に従って次々に前に進んで行くことが大原則です。「師(芭蕉)の曰く『たとへば歌仙は三十六歩なり。一歩も後に帰る心なし。行くにしたがひ心の改まるは、ただ先へ行く心なればなり」(『三冊子』土芳著)。

式目とは

連句の座は、ジャズの即興演奏のセッションに似ています。複数の奏者による即興の競演を一つの作品として成立させるためには、奏者の間でコード(和音)やモード(旋法)などの外形的な決めごとを共有しておくことが必要です。また多くの場合、誰か一人の奏者が場をリードする役割を担います。

それと同じように、連句では、連衆が特定の定型形式と、それに伴う式目を共有し、一人の捌き手がその場をリードすることで、みな一緒に「ただ先へ行く」ことができるようになります。ジャズの世界では、一切の決めごとなしに即興にまかせる「フリージャズ」というものもありましたが、ごく短期間で枯渇してしまいました。一切無限定の自由は、豊かな創造性を継続して生み出すことができないようです。

式目は、一句ごとの表現を束縛するためにあるのではなく、逆に、一句ごとに前へ進み、新たな境地、発想を引き出して行くための手がかりとして、一座が共有するものです。式目は連歌の初期の時代に、そのような要請から生まれ、連歌から俳諧連歌、連句へ、という歴史を通じて磨かれてきました。

東明雅の
連句Q&A

連句では、全く未経験の人も座に参加して、楽しみつつ一巻の作品作りに貢献することができます。初心者の新鮮な発想による作句が一座を活性化します。一方、経験を重ね、ベテランになっても、常に新たな発見があり、探求研鑽の課題が見つかる奥の深い世界です。

初心者からベテランまで、連句実作のなかでぶつかるさまざまな具体的な疑問や問題意識に、東明雅師が答える「質問コーナー」は、「猫蓑通信」巻末に、創刊以来十年以上にわたって連載されたものです。きわめて実践的、具体的な、また一方ではきわめて本質的な「不易」の教えが詰め込まれたQ&Aを再録しました。