東 明雅の連句 Q&A
芦丈連句と芭蕉の心法
前には(Q28)根津芦丈先生との出会いのことについてうかがいましたが、芦丈先生の連句の特徴や面白さというのはどんなところにあったのでしょうか。
芦丈先生の捌きは、第一に付けと転じを重視され、付けの大原則として、「あるものは付く。無いものはつかぬ」・「根を切れ」・「続きを言うな」と教えられ、転じでは「付方自他伝」の手法を重んずるけれども決してそれにとらわれないようにさとされました。これを芦丈先生は「芭蕉の心法」として、教えられたものです。
「芦丈翁俳諧聞書」には、芦丈先生捌きの信大連句会作品第八号「雪」の巻が連載され、先生の自解が付けられておりますので、これを読めば芦丈先生の作品の特微も面白さも十分読み取る事ができるでしょう。
たとえば、この巻ウラの一連に、
十六 土にほはせて早き物の芽
十七 花の道善の綱にも続きゐて
十八 巣こぼれ雀どこぞにか鳴く
とあるのは、猫蓑なら十六・十七・十八ともに場(人情なし)の句として嫌われるでしょう。
芦丈先生は、十六は畑か何かで植物の句だし、十八はお堂か寺の辺りで生類が出ており、変化しているからよいとされたのでした。このように、はっきり理由があれば、自・他・場それぞれの三句続きでも否定されませんでした。これが「芭蕉の心法」というものでありましょう。
私は連句というものは、世態人情楓交詩で、世態や人情にわたってあわれな事、おかしい事を詠んだものが、読む人に最も感銘を与え、すばらしい作品だと考えているのですが、この点は芦丈先生も同様で、ことに恋句は連句の花であり、柱であり、魂であるとして尊重されました。そして、次のような句を揚げて実作の参考としておられます。
1 ちさき店出して櫛田の出はづれに
二親の日もまゐる墓なき
2 濡足袋で直に火燵へ辷りこみ
教へて云はす掛のことはり
3 政子の石のぬくき人肌
膝なんど濡らして給べと稚児を抱き
1・2は別に註は不要でしょうが、3は人の赤ン坊に尿をかけられると子供が出来るという迷信と、鎌倉鶴が岡八幡宮にある陰陽石とを付け合わせたもので、1・2・3ともに恋とか愛とかの言葉は一字も入っていないのですが、恋の至情のあらわれたものです。
これらは、芦丈先生の豊富な人生体験と温かい人柄により生まれた個性的な句で、これこそ世態人情のあわれとおかしみを描き出しているものでしょう。
「猫蓑通信」第31号 平成10(1998)年4月15日刊 より