Q28

根津芦丈翁初対面の印象

根津芦丈先生と初めて出会われた頃の、芦丈先生のご様子や印象はどのようなものだったでしょうか。

私が芦丈先生にお目にかかったのは、昭和三十六年九月二十三日、先生を信州大学にお招きして、連句について講演をお願いしたその日という事に一応なっている。しかし実はその前に一度、松本から伊那まで先生を苧庵にお訪ねしているのである。

正確な日時は記憶にないが、恐らく三十五年の頃だったと思う。その当時、私は大学で西鶴の研究に没頭していた。西鶴と同じ談林派の俳人野口在色が伊那に住んだ事があるので、何か在色について教えていただけたらと思ったからである。

芦丈先生の存在は同窓の宮脇昌三さんから聞いていたが、その当時は連句には関心も興昧もなかった。芦丈先生は蕉風俳諧一辺倒、西鶴などは邪道扱いの方であるから、ましてや在色などには興味もなければ関心もなかったのは当然であった。それでも部屋に上げていただき、一、二時間話をしたが、考えてみれば不幸な初対面ではあった。

先生は小生意気な若僧が、在色などつまらぬ者を尋ねあるく事からお気に入らなかったのではなかろうか。手をかえ品をかえ何か在色のことを聞き出そうとする私を無視して、終始一貫、芭蕉の俳諧、ことに芭蕉の心法を説かれる。それも伊那方言まる出しで、先生の講義というか、説法というか、延々と止まるところを知らなかった。おそらく大変重要なことを教えて下さったのであろうが、その当時の私は芭蕉よりも西鶴が大切であったから、折角のお話も全く馬の耳に念仏であり、究極の印象として、頑固で旧弊な老俳諧師の見本を見たような思いであった。

このように芦丈先生との初対面は不幸な結果に終ったが、この対面も後になってはお互いに有意義であり、私としては最高の結果をもたらす事となる。

それから一年ほど後、当時は伊那に住んでいた宮脇昌三さんから、芦丈先生を大学に招いて話をさせてくれないかという依頼があった。これからは私の推測であるが、芦丈先生がそのように事を運ぶべく、昌三さんに頼まれたのではあるまいか。過日つまらぬ在色の事など聞きに来た若僧の目を覚させねばならぬという一徹の心と、また、連句発展のためなら何でもやろうという不抜の精神の持主であった先生を考えると、どうもそのあたりが本当のところではないかと思う。

そして、その講演の結果、私はもちろん、故高橋玄一郎さん、故池田魚魯さんなども一ペんに芦丈ファンとなり、その日のうちに信大連句会が結成される事になったのである。

「猫蓑通信」第28号 平成9(1997)年7月15日刊 より