東 明雅の連句 Q&A
転じている、いない
連句は転じがなければならないと教わりますが、実際の付け合いの中で、転じているいないの判断は主観的な面もあるように思えます。どのような点に工夫すればよく転じられるかお教えください。
「歌仙は三十六歩、一歩も後に帰る心なし」(三冊子)と芭蕉がさとしたように、連句(俳諧)では、一巻を通して、後に戻らず進展するのが基本ですが、具体的に言うと、まず、付句が打越に戻らぬよう心がけねばなりません。打越に戻るのを「観音開き」と言って最も嫌います。従ってこの三句(打越・前句・付句)の転じに注意することが肝要であります。
この三句の転じの方法は、昔からいろいろと考えられて来ましたが、蕉門の立花北枝が三年間工夫考案して芭蕉にも見せたという「付方自他伝」の法が、一番分かりやすいと思います。
即ち、人情の句を自の句・他の句とに分け、人情なしの句は場の句として、1自場他、2他場自、3場自自・場自他、4場他他・場他自、5自自他、6自他他、7他他自、8他他ノアシライ自、9自他半場他と九つの組み合わせに収めて付けて行く方法で、これによれば、自然に打越の難を避けることができ、三句の転じが果せるのです。
しかしながら、その一句が自か他か、あるいは人情の句か場の句かの判断も難しい場合があり、あるいは一句の中に自と他を含んでいる自他半もあるから、初心の方にはちょっと面倒かも知れません。
さらに、もう一つ、たとえば、
1 硯に向かひすだれ揚げつゝ 自
2 梨の花咲き揃うたる夕小雨 場
3 誰におどろく女一むれ 他
3’ 誰におどろく絵描き一人 他
この場合、3は全く転じ得ているが、もし、3’を付けたならば、同じ他の句であっても、打越の1の人物と同じ人物、あるいは同系統の人物を想像させる為、三句の転じにはなりません。
同じように、たとえば
1 鯨突一二の鈷をあらそひて 他
2 無分別なる皃に雪降る 他ノアシライ
3 あのやうな小庵かなと思ふまで 自
3’ 辛口をもう小半と思ふまで 自
これも3は全く別の人物(出家、旅の僧)となって1から転じ得ているが、3’は同じ自の句でも1と同じ漁師めいた人物である故に転じていないのです。
このように、ただ自他をふりわけるだけでなく、その内容にもよく注意しないと転じない場合がありますので御注意下さい。
転じているいないの判断に主観的な面もあると言われるのは、自・他・場の判定、さらにその内容の表現と理解の適否によるものであろうと存じます。
「猫蓑通信」第15号 平成6(1994)年4月15日刊 より