Q19

時事句の意義

時事の句ということが言われますが、連句一巻の中でのこのような付句の意義、またどのようなことに気を付けて考えればいいのかをお教えください。

近世の俳諧には時事の句というものはない。戦前の連句にもすくなかったようである。『俳諧独稽古』(一八二八成)には、作品中に詠んではならないものを列挙して、

  慎めよ怪異乱世に火事罪科天災不順不孝不忠義
  近代の貴人の御名官名も夫と知れるは句の上に忌
  四民とも今居る人の名を出さず家々の秘事我家の業

とあるが、こんな遠慮がゆるんだのは、戦後の民衆の意識の変化によるものであろう。

近世においては、時の政治、世情を批判することは許されなかった。これを犯したものが筆禍に遭った例は枚挙に遑がない。近代になっても、その名残があって、それが全く払拭されたのは、戦後天皇が人間であることを宣言されて以後のことであろう。俳諧と連句の違いがはっきりとするところである。

だから時事の句が現代連句に詠まれるということは、昔の俳諧には欠けていた素材の一つが復活したことを通して、現代の連句がより自由になり、漸く近代的になったことの一つの証拠であろう。

また、時事の句は、その存在によって、一座が興行された時代、あるいは年次までもその作品の中に残すことになる。これは一座の人の連衆心を強めるものであろうし、また、その作品を鑑賞する人に取っても、何よりの手がかりになるところであろう。

ただ、それだけに、たとえば、歌仙一巻の中に時事の句が三つも四つも入ってくるとまるで、電車の中で週刊誌の中吊り広告を読んでいるような、おぞましい感じを否定できない。それは一句の中に作者の感情がこもる余白がなく、生硬でこなれていない句が多いからであろう。

さらに言えば、時事の句として一巻の中に取り上げる題材は、十年経っても二十年経っても、世人から忘れられないようなものであって欲しい。一、二年ですっかり忘れられるようなものは連衆の共感もすくないであろうし、鑑賞する側にとっても迷惑である。

私は時事の句を必ず一巻に一つ詠めと言っているわけではない。前句に即した時事の句が出たら出してもよいというわけで、わざわざ時事の句を出す為に苦労をすることはないと思う。また、時事の句はやはり歌仙一巻に一つ、あるいはそれに関連して出してせいぜい二句ぐらいで止めるようにしたいと思う。

「猫蓑通信」第19号 平成7(1995)年4月15日刊 より