Q30

席に臨む用意

連句の席に臨む時はどのような準備をすればよいのか、心構えなどについてお教えください。

連句の席と言っても様々で、一概に言えませんが、たとえば自分が捌きをしなければならない席とか、あるいは珍客として招待された席などの場合は、必ずその場・その時に叶った発句を用意すべきでしょう。有名な話ですが、膳所の正秀亭に招かれた去来は、発句の用意がなかった為に一座に迷惑をかけ、その夜、芭蕉から一晩中叱責されたと言います。

「お前は今夜初めて正秀亭に出席した。珍客であるから、発句は自分が出すものと前もって覚悟しておくべきである。その上、発句をと乞われたら、句のよしあしを考えずに早くに出さねばならぬのに、お前はそれもできなかった。一夜の時刻はいくらもないのだ。お前が発句に時間を費やしたら、今宵の会はつまらなくなるだろう。まことに風雅の心のない仕業である」というのが理由でしたが、まことにご尤もな説で反論の余地はありません。

さらに捌きや珍客でなくても、一座の仕儀では、何時、自分が発句を出さねばならぬ羽目にならぬとも限りません。そんな時おたおたしないように、一応、最低、一句か二句はその場・その時に応じた発句を考えておくべきでしょう。

さらに発句のみでなく、平句も準備しておくべきだという論もあります。いわゆる「孕句」あるいは「手帳」といわれる方法であります。「会席に出ようと思ふに、孕句を沢山にこしらへ置いてよくそらに覚えてをるぢや。前日などの急拵は忘るるものゆへ、常々目に見、耳に聞く事、是はよい俳諧と思ふ事を長い句と短い句にゆるりと案じて拵ておくぢや」と「俳諧仕様帳」という本の中に書いてあります。

元々、連句はその場に臨んで即興で付けるというのが原則ですから、それを予め、五・七・五、七・七の形までちゃんと作っておいて、どんな前句にでも合うものがあれば付けていくというのはやはり邪道でしょうし、芭蕉も手帳らしい句は嫌ったと、はっきり「去来抄」に書かれております。

但し、その芭蕉も、たとえば「浮世の果は皆小町なり」という句をかねがね胸の中で暖めて、「さまざまに品かはりたる恋をして」という凡兆の前句が出るまでじっと待っていたと言われております。

このように連句の席に臨む準備は、平素の修行・勉強の中にあり、その中で連句の材料となるものを選び出し記憶しておく事で、実際の句作りは一座の席でされたらよいと思います。

「猫蓑通信」第30号 平成10(1998)年1月15日刊 より