猫蓑会概要
 
梅に月
HOME 猫蓑会概要 連句入門 資料庫 サイトマップ

 
猫蓑会の師系・七人の先達
 
猫蓑会にとっての師系、面々授受の系譜は、
1芭蕉・2北枝・3希因・4闌更・5蒼虬・6芹舎・
7凌冬・8芦丈・9明雅、と続いてきました。
北枝から芦丈に至る先達についての概略を記します。

 

 
●立花北枝(たちばな ほくし)
 
生年:不詳
没年:享保3(1718)

「蕉門十哲」の一人。加賀(現石川県南部)金沢の刀研ぎ商。通称、研屋源四郎。庵号、鳥翠台・寿夭軒。「奥の細道」の旅の終盤に金沢を訪れた芭蕉に入門。

その折の、北枝の「馬かりて燕追行別れかな」を発句とする歌仙に一座し、芭蕉による捌のプロセスを克明に記録した。「翁直しの一巻」と呼ばれるこの歌仙は、芭蕉の捌の具体的なありかたの記録として唯一残る貴重なもの(『芭蕉連句集』岩波文庫 参照)。芭蕉の金沢滞在中ずっと付き従う。

以後継続して文通による指導を受けたが、芭蕉が亡くなるまで再会の機会がなかった。短い「面々授受」を最大限に生かした師弟関係だったと言える。編著『山中問答』『卯辰(うたつ)集』など。『山中問答』はいわゆる「自他場の論」をはじめて整理したもの。

北枝 夏の発句五句

  浅井戸にそつとすすぐや杜若
  夏酒やわれも乗行火の車
  さびしさや一尺消えてゆく蛍
  翁にぞ蚊屋つり草を習ひける
  鵜飼火に燃てはたらく白髪かな
  
▲ページトップへ
 

 
●和田希因(わだ きいん)
 

生年:元禄1(1688)
没年:寛延3(1750)

加賀金沢の俳諧師。通称、綿屋彦右衛門。庵号、暮柳舎。北枝・支考・乙由に俳諧を学ぶ。芭蕉の直弟子がみな亡くなった後の、北陸地方俳壇の重鎮。伊勢派の代表的宗匠として仰がれ、門下から麦水・二柳・涼袋・闌更などが輩出した。

  妹がりの河辺出直す若菜哉
  鴬のあかるき声や竹の奥
  この路は馬糞に習へ閑子鳥
  我が門(かど)に富士を見ぬ日の寒さかな
  蜘の網かけて夜に入る木槿かな

▲ページトップへ
 


 
●高桑闌更(たかくわ らんこう)
 

生年:享保11(1726)
没年月日: 寛政10.5.3(1798)

加賀金沢の俳諧師。庵号、二夜庵・半化房(坊)・芭蕉堂など。金沢の商人。本名は高桑忠保または正保。暮柳舎和田希因に俳諧を学ぶ。三十代のなかばごろから俳諧に精を出し、蕉風復古に務める。芭蕉や蕉門俳人の句文など資料を刊行し、独自の蕉風論を唱え、天明期の蕉風中興を担った一人。

天明3(1783)年から活動拠点を京都に移し、京都俳壇の中心となる。晩年、二条家から花の本宗匠の称号を与えられた。編著『芭蕉翁消息集』『俳諧世説』、句集『半化坊発句集』など。代表句「枯蘆の日に日に折れて流れけり」によって「枯蘆の闌更」「枯蘆の翁」と呼ばれた。

闌更 夏の発句五句

  室の津や千舟啼き越すほととぎす
  網もるる魚の光や夏の月
  更け行くや蛍地を這ふ町の中
  五月雨や一筋赤き沖の水
  住よしや人わすれ艸ひとにあふ

▲ページトップへ
 


 
●成田蒼虬(なりた そうきゅう)
 

生年:宝暦11(1761)
没年月日:天保13.3.13(1842)

もと加賀金沢藩士で、弓術と馬術の達人。本名は成田久左衛門利定。庵号、槐庵・南無庵・対塔庵など。金沢で高桑闌更門の上田馬来に俳諧を学んだのち、京都で闌更に直接師事し、闌更の芭蕉堂の後を継いで二世となる。

天保元(1830)年に芭蕉堂を千崖に譲り、天保俳壇の重鎮として全国を行脚。のちに八坂に対塔庵を結んで俳壇を引退。桜井梅室、田川鳳朗とともに天保の三大家とされた。句集『蒼虬翁句集』など。

蒼虬 夏の発句五句

  一日の心を得たる若葉かな
  せみ鳴や心に遠きひとしきり
  ゆふ顔の上に行合ふ煙かな
  人の行方ちいさくなりて閑子鳥
  夏の月むざと落たる野面かな


 


 
●八木芹舎(やぎ きんしゃ)
 
生年:文化2(1805)
没年月日:明治23.1.23(1890)

山城国(現京都府)八条村に生まれる。成田蒼虬に俳諧を学ぶ。庵号、泮水園(はんすいえん)。二条家から花の本宗匠の号を受け、幕末から明治初年の京都俳壇の権威。編著『むさしろ』『蟹島俳諧集』『泮水園句集』など。

   大切なはたけの夜也月に梅
   のりの香や包みひらけば是も春
   なつかしき夜は秋にあり遠砧
   名月や何にぬれたる垣の簑

▲ページトップへ
 

 
●馬場凌冬(ばば りょうとう)
 
生年:天保13(1842)
没年月日:明治35.9.6(1902)

高遠(長野県伊那)の狐島に生まれる。本名は学之丞。庵号、呉竹園。高遠内藤藩の藩校である進徳館に学ぶ。俳諧を泮水園八木芹舎に師事、円熟社を興して俳諧の普及につとめた。伊那の放浪俳人として近年注目を集める井上井月(1822~1887)とも関係が深い。編著、『旅硯』『竹園随抄』など。

  鳥も来ず風もまだ出ず朝桜
  若鮎の見ゆるよ橋も高からず

妻の馬場那美女(ばば なみじょ)・嘉永5(1852)~大正12(1923)・も俳人で、円熟社の撰者。凌冬の片腕として俳人との交流につとめた。


 

 
●根津芦丈(ねづ ろじょう)
 
生年月日:明治7.12.27(1874)
没年月日:昭和43.2.14(1968)

長野県伊那村山寺に生まれる。庵号、生花庵・抱虚庵・苧庵(からむしあん)。円熟社にて呉竹園馬場凌冬に俳諧を学び、のちに凌冬、那美女の愛用した文台を那美女から譲られ、円熟社社長となる。戦中戦後の激動期に、伊那町議会議員をつとめるなど、郷土の振興に尽くす。連句普及の効により勲五等瑞宝章を遺贈される。

連句受難の時代に、松永蝸堂、増田龍雨、中村竹邨、寺崎方堂、橋閒石、清水瓢左など、「旧派」の系列に立つ全国の俳諧師と交流を重ねた。九十五年の生涯に卷いた連句は三千巻に及ぶ。九十歳の昭和三十九年一月に隔月刊の連句誌「山襖」(やまふすま)を創刊。以後昭和四十二年十一月まで自ら編集発行を続けた。高等教育を受けていないが、驚くべき博覧強記で、人格知性見識の衆に優れていたことを東明雅が伝えている。

昭和三十六年、八十七歳のとき、東明雅の招きにより信州大学で連句についての講演と実作指導を行い、それをきっかけに結成された信大連句会の月例会指導を四十二年六月まで続ける。信大連句会では、東明雅のほか、池田魯魚(雄一郎)、宮脇昌三、高橋玄一郎など、錚々たる顔ぶれが芦丈師の指導を受けた。

芦丈 夏の発句五句

  一葉浮き二葉のび蓮夏に入る
  影涼し合歓の眠りのとく覚めて
  戻るのは一つも見えぬ羽蟻かな
  汽車遅々と暑さきざみてアプト式
  鶏黍の林に続く夏野哉
 

 
東明雅へ 東 明雅へ
 

 
 
ページ内ジャンプ
 
立花北枝
 
和田希因
 
高桑闌更
 
成田蒼虬
 
八木芹舎
 
馬場凌冬
 
根津芦丈
 


 
根津芦丈翁画像 根津忠史氏蔵
先師根津芦丈翁画像
根津忠史氏蔵