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東明雅の連句Q&A
 

 
39・捌きとは何か
連句が初めての人にとって、向き合う捌きという存在に戸惑う向きもあるようです。捌きとはどういうものなのでしょうか。
 

 
連句になぜ捌きが必要かという疑問は、野球になぜ監督というものが必要かという疑問とよく似ています。連句と野球、それは余りにもかけ離れていると思う方もあるでしょうが、一方は集団でやる文芸であり、他方は集団で闘うスポーツという点に類似点があります。

捌きは連中の出した句をすべて吟味して、式目に外れていないものの中から、打越・前句との転じ・付味の最もすぐれたものを選んで、次の付句として治定します。そしてこのことを歌仙ならば三十数回繰り返すことによって、一巻は首尾するのです。しかも、その選んだ一句は捌きの考えにより、自由に添削をして、極端な場合には、作者の名義を変更することも許される場合があります。これを行うのが捌きなのですが、何故、そんな権限が捌きに許されるのでしょうか。それは連句というものが集団の芸術であり、そのことが一座の個人それぞれの著作権に優先すると認められているからであります。

民主主義の時代、ことに自我意識の強い方には納得が行かぬところかも知れませんが、もし、捌きに一句も添削を許さぬという事になったら、いかがでしょうか。捌きなしの一座、添削なしの作品が出来たら、それは奇蹟というべきでありましょう。

野球の方も、全選手の中から九名を選んで出場者を決め、投手が不調であると見れば直ちに交替させ、三振ばかり続ける場合には代打を出し、時にはスクイズを命じ、球団が勝利を得る為には、あらゆる事を考えて、あらゆる命令を独断で下す。これが野球の監督というものであります。選手の中にはそのような采配に不平・不満を持つ人はいっぱい居ると思うのですが、皆それをじっと胸に納めているのは、いかに現代が民主主義の時代、個性尊重の時代であれ、野球・蹴球のような集団競技においては、選手個人の利害・都合よりも、集団の利害・都合が優先して当然だという社会通念が徹底しているからでありましょう。

連句の初心者の中、もし捌きの存在に戸惑い、疑問に思っている方で、私の以上の説明に納得されない方は、集団競技である野球で名を成し得なかったジャンボ尾崎が、個人競技のゴルフに移って大成したように、即刻集団の文芸(座の文芸)である連句から去って、個人の文芸である俳句の方へ転進される事をおすすめ致します。それも連句に深入りされぬうち、早ければ早いほどよいと考えております。
 

●「猫蓑通信」第39号 平成12(2000)年4月15日刊 より

 
 
 
 
 
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