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東明雅の連句Q&A
 

 
22・歌仙の意義と連句形式のあり方
連句を完成させたと言われる芭蕉が用いた形式はほとんど歌仙ですが、これは、連句美は歌仙形式に極まるということなのでしょうか。連句形式のあり方についてお教え下さい。
 

 
ご質問の「連句を完成させたと言われる芭蕉」という言葉は、いささか問題があります。連句というのは普通には明治以後の俳諧を指します。だから「俳諧を完成させたと言われる芭蕉」なら、よく分かりますし、それならば私も全面的に賛成です。

芭蕉が生きた元禄時代は、まさに新しい文芸革新の時代でした。そしてそれを果したのが、小説における井原西鶴であり、俳諧における松尾芭蕉で、西鶴の「好色一代男」(一六八二)と、芭蕉の「冬の日」(一六八四)は、その輝かしい金字塔であります。

「冬の日」で確立された歌仙形式の俳諧は、それまでの百韻形式にかわって、俳諧の基本形式となりました。

百韻が首尾に、まる一日かかるのに対して、歌仙は約半日で済み、当時の庶民の生活事情・生活感情に適合したことが普及の第一原因でしょうが、それを抜きにしても、徒らに冗長な百韻に比べ、約三分の一の句数ながら三十六句の中に、序・破一段・破二段・急と微妙な変化と繰り返しの味を堪能させる形式は、まさに過不足のないものとして、万人に認められて参りました。そして、これが明治以後の連句の世界に引き続いているのも事実であります。

百韻は連歌の時代の俳諧の基本形式であり、芭蕉以後の俳諧では歌仙が基本形式でありました。芭蕉が「俳諧においては老翁が骨髄」と言ったというのも、彼が「俳諧美は歌仙形式に極まる」と考えていたことの証明でしょう。

連句の時代になっても、歌仙はまだ基本形式である権威を持っております。しかし、連歌の百韻が、俳諧の歌仙に取って代わられたように、俳諧の歌仙も連句になると結局は何か新しい形式に取って代わられるでしょう。

歌仙は大休首尾に半日かかると申しましたが、現代の慌しい世の中では、半日という時間はなかなか作れないのではないでしょうか。映画や演劇でも興行時間は約三時間というのが原則のようですし、また、作品を発表するにも、一巻三十六句、最低三十六行というのは、新聞や雑誌にはちょっと無理のようです。

だから、昭和四十五年ごろ以後、胡蝶(二十四句)・ソネット(十四句)・居待(十八句)・非懐紙(二十〜二十四句)・二十韻(二十句)・蜉蝣(二十八句)など、より短い形式の試みがなされているのです。
 

●「猫蓑通信」第22号 平成8(1996)年1月15日刊 より

 
 
 
 
 
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