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東明雅の連句Q&A
 

 
11・花火の季、正花としての手花火
花火という季語について、季寄せでは晩夏、『連句人門』には秋の正花と出ています。打ち上げ花火と線香花火、火のついていないものの区別はどうかなど、今まで花火の句は避けてまいりましたが、お教えよろしくお願いします。
 

 
花火は近世初期は、上方で旧暦七月(秋)のころ、盛んに打ち上げられたらしく、当時の歳時記には、踊り、送り火などの中に記載され、盂蘭盆の行事の一つのように考えられる。ところが近世も後期となり江戸が文化の中心となると、花火は納涼のための行事の一つとなり、例の両国の川開きなどに見られるように、五月の末(仲夏)から六月(晩夏)の行事となってしまった。

延享二年(一七四五)前後に出版されたと思われる「改式大成清鉋」という歳時記には、「花火は六月盛りにして、七月に入ってからは十ゥに一つ也。然れども、発句には秋に用いる事、猶所謂あり。前句夏ならば尤も夏に用うべし」とあるが、さらに下って、享和三年(一八〇三)の「俳諧歳時記」には「花火、夏たるべきものを古人秋とすること、いまだ詳ならず」と言っている。この歳時記の作者滝沢馬琴は有名な八犬伝の著者で、博学を持って知られた人であったが、この花火の受容の変遷がわからなくて、なぜ、夏の納涼の花火が季語では秋になっているのか迷ったのは滑稽である。

明治以後、俳句では夏の季語となり、晩夏とされていたが、連句では大正、昭和に至るまで秋の正花とされてきた。私の『連句入門』は昭和五十三年の出版であるが、やはリ、その伝続を守っている。しかし、これはどうしても現実に合わないので、現在の猫蓑では、花火は夏(晩夏)の正花としており、「連句入門」の改訂版を出す時は、はっきり改めたいと思っている。

ところで、この花火は、正花として、打揚げ花火・遠花火・花火舟など、いろいろ応用できるであろうが、おたずねの線香花火・手花火・鼠花火などはいかがであろうか。これらの類も確かに美しいし、また、花火という名が付いている以上、夏の正花としての資格は否定することはできないであろう。但し、これら線香花火・手花火・鼠花火の類には、打揚げ花火・仕掛花火に見るような絢爛豪華なところがないのも事実であろう。花にはもともと人に感動を与える賞美の意がなければならない。

  1  手花火のこぼす火の色水の色      後藤夜半
  2  手花火の紅紙金紙夜を待てり    大久保九山人

などは辛じて正花としての風格をもつものと言えるであろうが、これだけのものを出すことはなかなか困難であろう。

2はまだ、火のついていない手花火を詠んでいるが、このように火はついてなくても表現次第では立派な花の句となるであろう。
 

●「猫蓑通信」第11号 平成5(1993)年4月15日刊 より

 
 
 
 
 
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