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東明雅の連句Q&A
 

 
9・脇の月の出し方
    底の紅濃きまま木槿落ちにけり
     雨上がりたる庭の繊月

最近巻きました二十韻で、このような月の句が出ました。脇句のあり方も含め、月を詠む時の視点など、出し方についてお教えください。
 

 
ご承知の通り、木槿は初秋に咲く鑑賞花ですが、種類が多く、白木槿・紅木槿の外、八重の木槿などもあります。「底の紅濃き」というのは木槿の一種に宗旦木槿というものがあって、花弁の底が紅い俗に底紅とも言われるものです。

木槿は朝開くと夕にはしぼんで落ちる、いわゆる「木槿一日栄」の諺通りです。だから、この発句、しぼんで落ちた宗且木槿の底の紅いのが見えたまま、庭に散らばっている景色を眺めての作だと思われます。

これに対して、脇句「雨上がりたる庭の繊月」は、一応発句に付いているようだし、発句が初秋の句、脇は三秋の句ですから無難ですが、よく考えてみると、ふっと疑問が湧くのです。発句が地に散り敷いている木槿を述べているのに対して、脇は空に浮かんだ二日月または三日月を描き、視点がばらばらです。もし、地に落ちている底紅が暗いところでも見えるようなものならば、たとえばこのような付句もあり得ましょう。

    藪入や皆見覚えの木槿垣    子規

同じ木槿の句でも、これは夜目でもはっきり見ることが出来ます。だから、「雨上がりたる庭の繊月」でもよいのです。これは木槿垣と繊月とが同一視野に入り、対称的に描いているとも言えるでしょう。

また、たとえば

    江東にまた帰り住み震災忌  越央子
     雨上がりたる庭の繊月

これも発句は自分の境涯を述べているのに対して、脇はあたかも発句の情を象徴したような叙景の句で、これでもよいのです。

ただ、前に申しました通り、雨上がりの空の二日月・三日月では暗くて、底紅の散っている色を見分けることは困難でしょう。脇は発句の景の余意、余情をつたえるのが根本ですから、発句の景から想像出来ないような月を出すのはまずいのです。それで、出来るならば、

    底の紅濃きまま木槿落ちにけり
     雨上がりたる空の昼月

とでも直したら木槿も見えるでしょうし、折からの昼月を出したものとして、一応よいでしょう。また、落ちた木槿と月とを同一視野で描きたいというなら、

    底の紅濃きまま木槿落ちにけり
     雨上がりたる庭の月影

くらいに一直されたら、明るい庭の月光の下に、底紅の色まで見えるという事になれば、それはそれで月の明るさを象徴しており、発句と違和感なく味わうことが出来ると思うのです。
 

●「猫蓑通信」第9号 平成4(1992)年10月15日刊 より

 
 
 
 
 
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