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東 明雅
 
猫蓑会の創設者で、主宰であった東明雅師は、
平成十五(2003)年十月、享年八十八歳で
逝去されましたが、私たちは現在も師の志を
受け継ぎ、師の教えを導きの糸として、連句創作を
追求しています。

 
●東 明雅 夏の発句十句

 
             『猫蓑庵発句集』(永田書房)より

 

 
●「季刊連句」発刊の辞――――東明雅
 

先師根津芦丈翁が卒寿の高齢で、連句の専門誌「山襖」を発刊されたのは昭和三十九年のことであった。その「発刊の辞」には、沈滞・衰微の極にあった連句を歎き、もう一度、芭蕉の伝統を今日に復活させようという執念ともいうべき悲願が縷々と述べられている。それから二十年、連句界の様相は一変したと言ってよい。ことに昭和五十年代になってからは、相つぐ入門書の出版、各地における連句会の誕生、昨年はまた連句懇話会の結成、連句年鑑の発行など、まさに連句の復活を実証したものと言えよう。泉下の芦丈先生が聞かれたら、さぞかし驚かれ、満足されることであろう。

いわば、長い長い冬が去って、連句界にやっと雪解けの春が訪れたのである。そこにはさまざまの種が蒔かれ、既にいろいろの芽生えが見られる。それ故に、私どももこの際、先師の遺志をつぎ、先師から学んだ蕉風連句の種を蒔き、その芽生えを大切に育てて行こうと思う。ここに相計って「季刊連句」を発刊するのも、一に右の目的を達成する為に外ならない。

庶民の文芸であり、座の文芸である連句に、芭蕉以来の不易の格を守りながら、現代の流行に即した新しみを求め、万人の胸の琴線にひびく作品を創り出すのが、私どもの究極の願いである。その実現は極めて難しいに違いないけれども、先師九十の時のあの沸々とたぎる雄心を鑑として、いつの日か民衆の新しい真の文芸として認められる大輪の美しい花を咲かせたいと思う。

    昭和58(1983)年6月1日刊「季刊連句」創刊号より

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●連句の復活とその将来――――東明雅
 
連句は今日奇蹟的に復活した。この「奇蹟的に」という言葉は、明治以後の連句がたどって来た沈滞・衰微の実状を目のあたりに見て来た人には、一種の感動を伴う実感として受けとられるものであろう。私も縁あって昭和三十六年から、この連句というおかしなものにいろいろとかかわって来たのであるが、当初は連句と言えば、非文学という言葉が鸚鵡返しに返って来、連句の復活を説けば時代錯誤の標本のように思われて、世人の連句アレルギーとでもいうべきものに、少なからず悩まされたものであった。

なぜ世人はこのように連句に冷たく、邪慳だったのか、今さらに恨みつらみを述べても仕方がないのだが、そのような人たちは皆次のように思っていたのだ。連句はもう滅んでしまった。日本の文学史を眺めても、一度滅んだものは、いくら人為的にその復活をはかっても成功したためしはない。今ごろになって連句の復活を叫ぶのは、日本の詩歌の展開のあとを知らぬ愚かな行為であると、流石に私に直接言った人はなかったけれども、心の中では皆そのように思い、夢中になっていた私たちをひそかに同情して眺めていたのであろう。

その人たちの考えは一応尤もである。たとえば万葉集を例にとっても、四千数百首あるその歌の中には、短歌(五・七・五・七・七)の形式ばかりでなく、片歌(五・七・ 七)と呼ばれるもの、旋頭歌(五・七・七・五・七・七)と呼ばれるもの、長歌(五・七・五・七…………七)と呼ばれるものなど、いろいろな形式が混在していたのであるが、短歌を除く他の形式は、次第にすたれ滅んで行って、今日は全くその影をとどめていない。江戸時代に建部涼袋(一七一九―一七七四)という者があらわれ、片歌を復活すべきだと、熱心に運動を展開したことがあった。そして彼の生きている間はそれでも幾らかは片歌形式が復活したかに見えたが、やがてそれは泡沫のように消えさり、涼袋は酔狂者の名を得たに過ぎない。また、鎌倉、室町時代に一世を風靡したのは連歌であった。その流行ぶりはすさましいばかりで、名人・上手も輩出したが、江戸時代になると全くその面影はなく俳諧に取ってかわられた。連歌を復活させようとする試みもあったに違いないが、すべて失敗したらしく、再び文学の表面に現われることはなかった。これらの例で分かるように、一度滅んだ文学形態は、誰がどのように努力しても、二度と復活しないものなのである。

それでは何故に連句は復活したのか。その理由は簡単である。連句はなるほど明治以後、文学の表面には殆んどあらわれなくなり、一般の人はもう滅亡してしまったものと早合点していたのだが、実は社会の片隅でその伝統を守る者があり、ひそかにこれを楽しむグループも残っていて、その命脈は辛じて続いていたのが、明治維新から百余年を経て、西洋文学一辺倒であったものの見直しの時期が廻って来て、また表面にあらわれるようになったものなのである。

私はこの連句復活に似た現象を、平安時代初期の短歌の上に見るのである。奈良時代から平安時代初期にかけて、中国の文学・思想が海嘯のようにこの島国に押しよせて来た。その圧倒的な勢に日本在来の文学たる短歌は一時全く屏息してしまい、漢詩・漢文が世上を支配してしまった。そして、このいわゆる国風暗黒時代も約百年続いたあと、再び短歌は蘇る。延喜五年(九〇五)に編纂された「古今和歌集」はその復活の輝しい記念碑であり、その後の短歌の隆盛は万人の周知するところである。

右にのべた連句の復活と短歌の復活、この二つの相似た現象から、次のようなことが結論できるのではなかろうか。一、日本国民は圧倒的な外来文化の影響を受けた場合、約百年は全くそれ一辺倒になってしまうが、それが過ぎるとまた自らの伝統を思い出し、復活させようとすること。二、連句も短歌も社会の表面では滅亡したかに見えたが、なお伝承・愛好する者が潜在しており、それ自身の命脈が尽きていなかった為に蘇生し復活することができたということ。これは先に例をあげた片歌・旋頭歌・長歌、あるいは連歌などが、その寿命が尽き、新しい時代に蘇生する力を失ってしまっていたのとは全く違うのである。

だから、片歌・旋頭歌・長歌、あるいは連歌を復活させようとすることは、それこそ文学の流れを知らぬ時代錯誤であるけれども、短歌・連句を蘇生させることは、決して文学の流れに逆らったことでもなく、時代錯誤の譏りにも当らぬのであり、これを譏る人こそかえって自らの無知を暴露するものであろう。このような認識は、今後連句復活の先頭に立つ者を大いに勇気づけるものであるに違いない。

さて、右に述べたように、短歌は一度全く表面的には衰滅してしまったあと、「古今和歌集」で花々しく復活し、その後の隆盛はすばらしく千年後の今日に及んでいる。連句も同じく衰退し、仮死状態にまで陥ったあと復活したのであるから、今後はできるだけ広く、できるだけ長く、国民の多くに親しまれる文芸として存在して欲しいと思う。もちろん今日は国民の生活や思想や価値観も多種多様の時代であるから、今後も連句の存在、あるいはその文芸性を否定する人も多いだろう。しかし、それはむしろ当然のことであり、もし国民全体が一致して連句の復活に賛成し、尽力するということになったら、その方がよほどおかしく無気味でさえあろう。反対の意見のあることを気にしてはならない。また、同じく連句の復活を願うにしても、その考え方、方法は人によってまちまちであろう。私はそれでよいと思うし、無理に統一することの方がおかしいと思う。たとえば形式や式目なども自然とある方向にむかいそれが固定するのはよいけれども、人為的に無理に一定しようとすると必ず破綻するだろう。戦争中にこれに類したことが行われ、昭和式目なる不完全なものが押しつけられた苦い過去が思い出され、今もよい気持がしない。よい作品・すばらしい作品は、どんな形式でも、どんな式目を使っても存在しうるだろう。

このように言うと、形式も式目もどんなにしてもかまわないと言っているように聞こえるだろう。実はその通りなのである。せっかく連句を復活させたからには、それを時代や社会に適合するように、第一、自分に気に入るように新しく変化して行くべきである。いつまでも芭蕉の時代の形骸を守るだけでは、それこそ本当に連句の命脈は尽き、片歌・旋頭歌・長歌、あるいは連歌と同様の運命に陥ることであろう。だから、内容の上でも、形式の上でも、変化すべき理由が十分に認められるならば、変化させてよいし、積極的に変化させなければならない。しかし、いくら変化させ変貌させても、連句という文芸であるからには、それにふさわしい本質だけは絶対に失ってはならないと思うのである。

連句の本質とは何か、たとえば連句は座の文学と言われる。これも確かに本質の一つであるが、座を排除しても連句は存在しうる。現に独吟という形式があるからである。また、連句の本質は俳諧、すなわち滑稽・諧謔であると言うが、これは芭蕉の時代になると否定された。あるいは挨拶であり、即興であるとも言う。これらも大切なものに違いないが、挨拶・即興がなければ連句ではないとは言えないだろう。私は連句が将来いかに変化・変貌しようとも、絶対に失ってならぬものは、作品を創り出すこの文芸独自の運動であり、メカニズムであると思う。付句は前句にのみついて、打越の句とは全く縁がない。このような関係を何回も何十回も繰り返して一巻の作品が創り出される。このような詩制作の手法はどこの国の文芸にも見られない、私どもの先祖が新しく創り出した独自のものである。究極においては、この独自の運動・メカニズムさえ失わなければ、その一巻がどのような形式をとろうとも、どのような式目を採用しようとも、私はそれを連句と認めようと思う。

ただし、私は今すぐに極端な変化・変貎をしなければならぬ納得のゆく理由を発見できない。それで今しばらくは先師芦丈翁の教えにまかせ、蕉風伊勢派の伝統を守り、その中で真の新しさを摸索して行きたいと思う。

    昭和58(1983)年6月1日刊「季刊連句」創刊号より

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●猫蓑会ホームページ開設にあたって
 
    平成十二(2000)年五月 猫蓑会会長(当時) 東 明雅
 

私どもは芭蕉の俳諧に心酔し、その伝統を今日の連句に活かそうと努力している連句集団「猫蓑(ねこみの)」であります。1981年春、新宿の朝日 カルチャーセンター(ACC)に「連句入門」という講座が開かれたのをきっかけに、受講者を中心にこの会が生まれ、会長東明雅、副会長式田和子その他の指導の下に、これまで活動を続けて参りました。

今日でも「連句入門」の受講希望者は跡を絶ちません。ACC教室では 連句の理論と実作を学べますが、 東京近郊に住む 人以外、あるいは時間的に余裕のない方は、初めから受講をあきらめた方も 多かったと思います。

それで、その方々の希望を叶える方法の一つとして、インターネットに ホームページ「ねこみの」を開設することに致しました。

これならば、地理的・時間的に受講が出来なかった方々も、このホームページにアクセスしていただければ「猫蓑」流の連句の理論と作品に接することが出来ると存じます。

多くの連句愛好者の方々が利用されるよう希望する次第であります。


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●略年譜
 

東 明雅
ひがし あきまさ(俳号としては「めいが」と読む)

大正 4(1915) 3月7日、熊本県熊本市に生まれる。
昭和14(1939) 東京帝国大学文学部国文学科卒業、文部省
        宗教局に奉職。
昭和17(1942) 旧制東京府立一中教諭。
昭和20(1945) 旧制松本高等学校教授、松本市に住む。当
        時の教え子に北杜夫など。
昭和23(1948) 信州大学助教授。
昭和34(1959) 信州大学教授。
昭和36(1961) 信州大学理学部において根津芦丈師の連句
        講演と実作指導を受講、その後信州大学連
        句会を結成。このとき芦丈翁87歳、以後、
        芦丈翁95歳の逝去まで師事。
昭和55(1980) 信州大学定年退官。名誉教授。
昭和56(1981) 朝日カルチャーセンターにて連句入門講座
        を開講。
昭和57(1982) 猫蓑会発足、主宰。
昭和58(1983) 「季刊連句」創刊。
昭和60(1985) 連句新形式「二十韻」を提唱。
昭和61(1986) 猫蓑会「俳諧芭蕉忌」にて正式俳諧興行
        (江東区芭蕉記念館)。以後毎年興行。
昭和62(1987) 勲三等旭日中綬章を受章。
昭和62(1987) 猫蓑会「亀戸天神社藤祭奉納正式俳諧」を
        興行。以後毎年興行。
平成 2(1990) 「猫簑通信」(季刊)創刊。
平成 5(1993) 連句新形式「源心」を提唱。
平成 6(1994) 「季刊連句」終刊。
平成12(2000) 日本青年館において、発起人として根津芦
        丈翁三十三回忌を修す。
平成15(2003) 10月20日 逝去。享年満88歳。戒名 西峯
        院蘇揚明雅居士。熊本市往生院に眠る。


主要著書(一部共著を含む)

昭和23(1948) 『西鶴研究第一集』
        (西鶴学会・古典文庫 以後第十集まで執
        筆)
昭和28(1953) 『つゆ殿物語』(古典文庫)
昭和31(1956) 『日本永代蔵』(岩波文庫)
昭和34(1959) 『好色五人女』(岩波文庫)
昭和43(1968) 『芭蕉の恋句』(岩波新書)
昭和44(1969) 『西鶴』
        (日本文学史料刊行会・有精堂出版)
昭和46(1971) 『井原西鶴集1』
        (日本古典文学全集38・小学館)
昭和47(1972) 『夏の日――純正連句とその鑑賞』
        (角川書店)
昭和49(1974) 『井原西鶴集3』『井原西鶴集4』
        (日本古典全書・朝日新聞社)
昭和53(1978) 『連句入門――芭蕉の俳諧に即して』
        (中公新書)
昭和57(1982) 『猫蓑』(永田書房)
昭和60(1985) 『好色五人女 好色一代女』
        (完訳日本の古典51・小学館)
昭和61(1986) 『連句辞典』(東京堂出版)
平成 3(1991) 『新炭俵』(角川書店)
平成 5(1993) 『芭蕉の恋句』
        (特裝版・岩波新書の江戸時代)
平成 6(1994) 『芦丈翁俳諧聞書』(自費出版)
平成 6(1994) 『猫蓑庵発句集』(永田書房)
平成 8(1996) 『井原西鶴集1』
        (新編日本古典文学全集66・小学館)
平成13(2001) 『十七季――連句・俳句季語辞典』
        (三省堂)
 


 
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「季刊連句」発刊の辞
 
 
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略年譜
 
松本市城山にて花見 昭和二十八年
松本市城山にて花見
昭和二十八(1953)年
 
信州大学弓道場にて 昭和三十四年
信州大学
弓道場にて
昭和三十四(1959)年


 
東明雅夫妻
東明雅夫妻
平成十二(2000)年