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座の文芸である連句は楽しくなければいけない。だが、楽しいだけで良いのだろうか。楽しい席で巻いた作品が他者の鑑賞・批評に耐えるものに仕上がれば楽しさはさらに大きくなるだろう。

芭蕉の言葉として「たとへば歌仙は三十六歩也。一歩も後に帰る心なし」と服部土芳は『あかさうし』に書いている。変化こそ連句の根本的なルールであることを示している。これに対して正岡子規は『芭蕉雑談』の中で「発句は文学なり。連俳(俳諧)は文学にあらず。(略)連俳固より文学の分子を有せざるに非ずといへども文学以外の分子をも併有するなり」、さらに「連俳に貴ぶ所は変化なり。変化は則ち文学以外の分子なり」と連句非文学論を展開した。

東明雅先生は『連句入門』(中公新書)の中で、変化を貴ぶ連句の文学性を、
 ① 一句一句の独自のおもしろさ
 ② 前句と付句との間に生まれる付味のおもしろさ
 ③ 三句目の転じのおもしろさ
 ④ 一巻全体の構成とその変化・調和のおもしろさ
の四点にあるとして、芭蕉の作品から例をあげて説明されている。

連句は変化を貴ぶ文芸であることは、すでに現代の連句人には常識になっている。連句一巻には春夏秋冬が詠まれ、様々な人の営みが活写される。時には過去の人物や出来事、また未来のことすら詠まれる。目の前にあるものを詠むだけでは一巻は成立しえない。連句は、過去に自分が経験したことや様々なメディアを通して知ったことなど、記憶の中に刷り込まれた多様な事柄を手がかりにして連衆が一句一句を創作し、その中から捌き手が一句を選んで治定して進める「虚」を中心とする文芸である。

明雅先生は、連句を世態人情諷交詩と定義され、現代の連句には現代が感じられる新しさが必要だとも言われた。『七部集』には芭蕉の生きた時代が描かれているが、それから三百年余が経過して生活環境が大きく変化している。評釈なしに七部集を理解できる人は少ないであろう。しかしそれは「流行」の宿命であり、決して芭蕉を貶めることにはならない。

明雅先生の説く前記四点のおもしろさは、それぞれの「新しみ」と言い換えてもよいであろう。一句一句に詩としての新しみ、二句の付合いでの付味の新しみ、三句の渡りでの転じの新しみ、そして一巻を通してメリハリがあり、現代の連句としての新しさが漂う作品を私たちは共同して作りたいものである。

晩年の芭蕉は「不易流行」の論を唱えて俳風を一新した。一巻の作品に新しみがなければ、ただ伝統を舐めているに過ぎないだろう。伝統を継承するということは、古臭いことをそのまま受け継ぐことではなく、芭蕉の心法を現代に生かし、現代ならではの連句作品を残すことであろう。

        「猫蓑通信」第87号
        平成24(2012)年4月15日刊 より
 

 
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平成二十四(2012)年四月、亀戸天神社奉納正式俳諧の後に